朝、順三郎が松風町を歩く。ポケットに手を突っ込んでちょっとだけ肩をいからせて、そしてちょっとだけ猫背で。
それは「フィニステール」最後の日でした。私たちにとって。
しかし順三郎や群造やカオルにとってはそれはあてはまりません。彼らは悲しくさびしい客をなんとなく待ちわびている事でしょう。地上を旅した者を酒でいやす地の果ての酒場なのだから。「フィニステール」は。
早々、昨日お別れしたはずのあやこを迎え、スタッフ全員で記念撮影。
何?そんなことすると本当に実感しちゃうじゃないの。私たちは地の果てをさらに超えるのか・・・。
ともかく終わりは確実に近づいている。もう後戻りできない。風に押され、地の果てを飛びこえる。カオルがピアノを弾き、群造が豪快に笑い酔い、順三郎がそれをやさしく見守るのを見届けてから行くことにしよう。さあ、何を飲もうかな。
あ、群造がカオルにおごっているのはアルマニャックか。それも一番いい地酒のものだ。順三郎がいないさみしさを酒で埋めているのか。いつでも順三郎が帰って来たときに恥ずかしくないいい酒を彼は味わっている。
そうして扉が開き順三郎が入ってくるのです。よかったね。
3人はまたバカなことしてふざけて、もういつもこうなんだから。
あれ、何か篠原さんが岸谷さんに花束を渡している。ってことは。
数十分後には「フィニステール」には誰もいなくなった。スタッフでさえも次の現場へ向かい、ひっそりと静まりかえったカウンター、フロアー、ソファー、そして酒棚。私が愛した全てが最後の光を放って押し黙っているのです。そうか、さよならだね・・・。
私もせめて一度、順三郎に酒をつくってほしかった。カオルにタバコを買いに行ってほしかった。群造に横で酒をおごられたかった。悲しい女が酒をすするのを遠くから見ていたかった。リツ子の夫がおとなしい客として再び扉を開けるのを待っていたかった。
そして、あやこの香水の残り香を嗅ぎたかった。やっぱり悲しい。
それにしても、岸谷さんのバーテンダーぶりには本当に驚かされた。なにしろ手の伸びと縮みがきれいに酒びんと酒にからむのです。私のような女バーテンダーには真似出来ない、いい意味での荒っぽさ、強さ、手の抜き方、そして色気があるのでした。
酒びんの壁ぎわにそっと寄り添って、何かを眺めている岸谷順三郎の穏やかなまなざし。何かを守るように軽く腕を組んで客の相手をする彼。
バーテンダーは決して万能ではありません。どこかもろい所をもっていなければ客の気持ちは分からないのです。自分も弱いから大丈夫。安心して酒のみなさい、と声に出さずに言っている様な仕事です。岸谷さんはそんなこと、とっくの昔に知ってるのでしょうね。
本当に順三郎を演じてくれてありがとう。
寒い思いとかさせてしまってごめんなさい。あなたが順三郎ふくめ、この本のことを大事にしてくれて私はいつも感激の連続だったのですよ。
順三郎はあなたしかいなかった。だから夢の中で私に酒を注いでください。
その時、「フィニステール」にお客さんとしているのはスタッフ全員です。特に小澤さんはへろへろになっていて、中村さんはウンチクを語り出し、阿部さんはアイレイモルトを味わい、監督は酔いつぶれて寝ています。あ、いつも寝てるか・・・。
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