【撮影にあたっての監督のコメント】
函館という街に映画というフィルターを通して初めて行ったのは、森田芳光監督作品「キッチン」の助監督としてである。その頃は、―何だか気持ちが解放される空気の澄んだ街だな―という印象しかまだなかったような気がする。
その後、94年頃「函館ロープウェイ映画祭」(「函館港イルミナシオン映画祭」の前称)が始まって、1回目の映画祭で「草の上の仕事」が上映され、再びこの地を訪れた時は、―身も心も解放される奥の深そうな街―という印象をもったのである。「キッチン」の時に現地スタッフとしてコーディネーターのように活躍してくれた人たちが映画祭の実行委員の要人として僕を迎えてくれた、という縁深いところもあるのだが、自分の映画が上映され、そして観客やスタッフの人達と映画について突っ込んだ話をしていくうちに、―僕もいつかこの街で映画が撮れたらな―という想いがふと湧いた。酒を飲んで、誰もいないナトリウム灯の光に包まれた夜の電車通りをトボトボと歩いた時などは、自分がサスペンス映画の主人公になったような気分で、―この街には放っておけない何かがあるな、―それは一言では言えないけど―どこか人の心を溶かすようなものなのかな―と思ったものだ。
そしてその時知り合ったスタッフの一人が、後に函館市民映画館「シネマアイリス」を設立し、その1周年記念上映の1本に「月とキャベツ」を上映してくれ、再びこの地を訪れて以降、ほぼ僕の作品は映画祭かアイリスで上映されるという幸運に恵まれた。映画祭スタッフや市民の方たちと交流は深くなるにつれ、映画祭が5年がかりで実施してきた「シナリオ大賞」で賞に選ばれたシナリオの映画化をしてみないかという話が持ち上がり、僕自身が昨年、2000年のグランプリを受賞した「オー・ド・ヴィー」を一読して、―これこそすぐにでも撮りたい―と思ったことが、今回の映画化に至る、ますは出発点だったものだ。
鵜野幸恵さんという、現在はフランス・ストラスブールに在住の、お酒を愛してやまず、お酒に酔いながら死してもよいという志をもつ、けれど普段はとってもかわいく楽しい人柄の彼女が書いた第1稿は、こんな大胆で荒削りな脚本は、ほとんど読んだことがないくらいの荒唐無稽さと不可思議さに満ち、このまま映画化するには現在の映画技術では難しいと思うほどだったけれど、この脚本に貫かれている精神性こそフィルムに焼き付けてみたいと強く思えるもので、今の僕自身にとっても、とても必要不可欠なものであると強く思い込み、何とか自分の力で料理してみたいと思ったのである。
「オー・ド・ヴィー」とは、フランス語で「蒸留酒」。もっと深い意味で“生命の水”という意味である。
月夜の浜辺で一人の女が、一糸まとわぬ姿で息絶えている・・・月明かりで照らされたその顔には、かすかな微笑みが浮かんでいる。
そんな冒頭から始まるこの映画の主人公・順三郎は“フィンステール”という酒場を美しい義母・あやこと経営している。その店に集まってくる女たちは、アルコール度数100%の酒を飲んでは、やはり月明かりの浜辺で微笑みながら死していくのである。そしてもう一人“ラ・テール”というフランス料理店でひとつの食材が美味しそうに調理されていく生々しい過程を、うっとりと興奮して見つめる若きコック志望の女・火露見。彼女はシェフの井上と師弟関係を超えた関係にあり、愛と憎しみが交錯した日々を送っている。
そんな順三郎と火露見が出逢い、物語はどんどんと不可思議さに満ちていく。
テーマは“酒と快楽と死”である。
僕はこの順三郎という男に、人間の持つ根源的な原罪を背負わせたいと思っている。それは、現代の男なら誰もがどこかで感じているはずであろうもので、やがてそれは女たちによって救済されていくのではないかということを幻想的に綴りたいと考えている。
と、ずいぶんと抽象的なあらすじとテーマの説明になってしまったが、実際に函館の街をトボトボと歩いているとなんだかそんな男と女の喧騒が、耳をすませれば聞こえてくるような妖しげな魅力に包まれているのである。うーん言葉では上手く説明できない、その不可思議さ。それこそ、これから映画化していきたいのである。
主人公・順三郎に岸谷五郎。義母・あやこに鰐淵晴子。コックの火露見に小山田サユリ。シェフ・井上は松重豊。順三郎の店に出入りする、あやしい密造酒をつくる男が寺田濃。その他、順三郎を取り囲む女たちに、朝加真由美、小林沙世子、伊藤聖子・・・。
そして、当映画祭のディレクターである、あがた森魚が音楽を担当するとともに、やはり順三郎の店に出入りする一人の男を演じます。(敬称略)
今月6日にいよいよ函館でクランク・イン。
篠原哲雄
【関連サイト】
・函館港イルミナシオン映画祭「オー・ド・ヴィ」
製作情報
・「オー・ド・ヴィ」
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